この本を買ったのは高校生の頃ですね。こういった本ばっかり読んでました。だから友達出来なかったんだろうなーwww
この十八史略の人物列伝は周の時代から清の時代までの各英傑や賢人をまとめて紹介している本です。そのため、一人ひとりの紹介はあっさりしていますが、故に読みやすいし、サクッと読める。

十八史略の人物列伝―英傑・賢人たちに学ぶ


あ、そもそも十八史略というのは・・・
南宋の曾先之によってまとめられた中国の歴史読本。三皇五帝の伝説時代から南宋までの十八の正史を要約し、編年体で綴っている。
史記(司馬遷)・漢書(班固)・後漢書(范曄)・三国志(陳寿)・晋書(房玄齢 他)・宋書(沈約)・南斉書(蕭子顕)・梁書(姚思廉)・陳書(姚思廉)・魏書(魏収)・北斉書(李百薬)・後周書(崔仁師)・隋書(魏徴)・長孫無忌)・南史(李延寿)・北史(李延寿)・新唐書(欧陽脩・宋祁)・新五代史(欧陽脩)・宋鑑:続宋編年資治通鑑(李熹)/続宋中興編年資治通鑑(劉時挙)

参照:十八史略[wikipedia]
18の国の歴史書がまとめられた一冊の書物です(まとめサイト的な感じ?)。
で、今回紹介する本は十八史略の範囲を超えて清代の人物まで書かれています。
なかなかね、ザーッと流して一冊にまとまってるものってないんですよ。人数が人数ですし。でもこれは本当にお手軽に読めるから、ちょっと興味あるけど、そこまでガッツリと知る必要は・・・って方には丁度いい一冊です。

尚、中国史全般見渡しても特に人気が高く、僕も好きな「岳飛」なんかも、この本で初めてその名前と業績を知りました。
僕のインスタのアカウントは「gack_hi」なのって実は「「岳飛」からつけています。

第一章 周・春秋時代

  • 周公旦 慎んで国を以て人に奢るなかれ
  • 管仲 桓公を相けて諸侯に覇たらしむ
  • 荘王 三年蜚ばず鳴かず、これ何の鳥ぞ
  • 子産 寛以て猛を済い、猛以て寛を済う
  • 晏嬰 声明はこれを君に帰し、禍災はこれを身に帰す
  • 孫子 彼を知り己を知れば百戦して殆うからず
  • 范蠡 大名の下には以て久しく居り難し
  • 孔子 温にして厲し、威ありて猛からず
  • 老子 足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず

周王朝の草創期から周末期までですね。
周末期=春秋時代です。周王朝自体は息が長いのですが、まだ威権を持っていた時代、担がれていた時代ですかね。各国が王を名乗っていない時期というか。
いつからが戦国かっていうと色んな見方がありますが、この時代はいわゆる覇者の時代です。春秋五覇とか言われる名君が登場する時代です。西周が滅んで東周になってから、だったり、晋が趙・魏・韓に分かれてからだ、という見方もあります。

第二章 戦国時代

  • 墨子 墨突黔まず、墨子に煖席なし
  • 呉起 兵を用うるの害は猶予最大なり
  • 孫臏 その無備を攻め、その不意に出ず
  • 商鞅 法の行われざるは上よりこれを犯せばなり
  • 田単 始めは処女の如く、後には脱兎の如し
  • 孟子 至誠にして動かざる者はいまだこれ有らざるなり
  • 莊子 吾まさに尾を塗中に曳かんとす
  • 韓非子 人の吾が為に善なるを恃まず

この時代は本当に色んな人物が活躍しており、色んな故事成語が生まれている時代でもあります。
諸子百家が生まれ、活躍したのもこの時代。以前紹介した鬼谷子なんかもこの時代の人です。
この戦国時代を終わらせたのが、始皇帝嬴政でマンガ「キングダム」の「秦王・政」です。上記の人物で同時期なのは韓非子ぐらいかな。

第三章 秦・漢時代

  • 始皇帝 天下の事、小大となくみな上に決す
  • 李斯 人の賢不肖は譬えば鼠のごとく、自ら処る所に在るのみ
  • 項羽 虞や虞や若を奈何にせん
  • 劉邦 布衣を以て三尺の剣を提げて天下を取れリ
  • 張良 籌策を帷帳の中に運らし勝ちを千里の外に決す
  • 蕭何 蕭何の如きに至りては人の功なり
  • 韓信 狡兎死して良狗烹られ、敵国破れて謀臣亡ぶ
  • 陳平 常に奇計を出だし、紛糾の難を救う
  • 武帝 聡明にして能く断じ、善く人を用う
  • 司馬遷 百世を累ぬといえども垢いよいよ甚だしからんのみ
  • 光武帝 大業を済すといえども兢々として及ばざるが如し
  • 班超 虎穴に入らずんば虎子を得ず

始皇帝は有名ですよね。始皇帝の死後、各地で反乱が相次ぎ、その反乱の中でのしあがってきた、生き残ったのが、「項羽と劉邦」です。
そして垓下の戦いで劉邦が勝ち漢王朝(前漢)が立ち上がりますが、これがしばらく続いて、王莽という臣下によって一旦滅びます。
その後、劉秀という人物が戦乱を勝ち残り、立ち上げたのが後漢王朝。光武帝というのが、その劉秀です。

第四章 魏・晋時代

  • 曹操 そもそも非常の人、超世の傑と謂うべし
  • 劉備 それ大事を済すには必ず人を以て本となす
  • 孫権 その長ずる所を貴び、その短なる所を忘る
  • 曹丕 同根より生ずるに相煎ること何ぞ太だ急なる
  • 周瑜 文武の籌略は万人の英なり
  • 呂蒙 別れて三日なればまさに刮目して相待つべし
  • 関羽・張飛 羽は剛にして自ら矜り、飛は暴にして恩なし
  • 諸葛孔明 刑政峻なりといえども、怨む者なし
  • 司馬仲達 内は忌にして外は寛、猜忌して権変多し
  • 謝安 心喜ぶこと甚だしく屐歯の折るるを覚えず
  • 陶淵明 歸去來兮、田園将に蕪れなんとす

三国志というのはその後漢王朝末期からがベースとなり、司馬炎が晋を建国し呉を滅ぼすまでが、三国志です。
正式な王朝としては魏が正当王朝の扱いになっています。その晋も北からの異民族で早々に南に移ってしまうんですけどね。初期を西晋、南に移ってからを東晋と呼びます。
謝安はその東晋王朝の宰相です。晋を建国した司馬炎は司馬仲達の孫にあたります。

第五章 隋・唐時代

  • 煬帝 厭くなき欲を逞うし、才を恃み己を矜る
  • 太宗 草創と守成といずれが難き
  • 魏徴 人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜん
  • 則天武后 その諌を納れ人を知るは、また自ずから及ぶべからざるものあり
  • 玄宗 その甚だ愛する所に溺れ、その戒むべき所を忘る
  • 李白 白髪三千丈、愁いに縁って箇くの似く長し
  • 杜甫 国破れて山河あり、城春にして草木深し
  • 馮道 口に不道の言なく、門に不義の貨なし

しばらくは異民族に依って様々な国の栄枯盛衰があり(五胡十六国だっけ)、それを統一したのが、聖徳太子の話しにも出てくる隋です。
実際に統一したのは煬帝の父親である文帝ですが。煬帝は中国史上屈指の暴君とも言われています。将軍としてはそこそこに有能だったようですが。
その隋を滅ぼしたのが唐で、太宗はその唐の二代目皇帝です。李世民といいます。彼も父親を助け戦場を駆け巡っています。こちらは中国史上屈指の名君で、貞観の治と呼ばれる治世を築いています。
また、太宗や魏徴は西遊記にもちょろっと出ています。

第六章 宋・元時代

  • 趙匡胤 これ人力の致し易き所に非ざるなり
  • 超譜 沈毅果断にして天下を以て己が任となす
  • 王安石 茅檐にして相対して坐すること終日、一鳥鳴かず山更に幽なり
  • 司馬光 大いに壊るるにあらずんば、更造せざるなり
  • 蘇軾 一己の恨みを洩らすが若きは大いに謹慎の必要あり
  • 岳飛 山を撼すは易く、岳家軍を撼すは難し
  • 朱子 必ずこれに由りて学べば即ちその差わざるに庶からん
  • 耶律楚材 一利を興すは一害を除くに如かず

唐が滅び、五代十国を経て、それらをまとめたのが宋です。その宋の初代皇帝が趙匡胤です。この宋が北の異民族においやられるのですが、最初は遼、次いで金と異民族王朝が北方で立ち上がるなか、南宋として王朝が生き残ります。岳飛はその南宋初期(まだ南宋として成立前)に活躍した武将です。救国の英雄として名高く、この本で岳飛を知りました。元々は農民の出身ですが、義勇軍に応募し、その義勇軍のなかで頭角を現していきます。宋という王朝や時代は中国の文化が一気に花開いた文化・文明の時代ですが、軍事が非常に弱い印象があります。南宋も軍事が弱い王朝ですが、その中で勝ち続け金軍に打撃を与えていたのが岳飛と岳飛率いる岳家軍だったのです。南宋は金と対立を続けますが、金のほうが先に滅びます。チンギス・ハン率いるモンゴル軍に依って滅び、その後、モンゴル帝国が建てた元によって南宋も滅びます。

第七章 明・清時代

  • 朱元璋 聖賢・豪傑・盗賊の性、実に兼ねてこれを有する者なり
  • 劉基 計画立ちどころに定まり、人よく測るなし
  • 永楽帝 躬行節倹、人を知り善く任じ、表裏に洞達す
  • 王陽明 知行は分かちて両亊と成すべからず
  • 張居正 法の行われざるは、人力めざればなり
  • 康煕帝 一事を謹しまずんば四海の憂いを眙す
  • 雍正帝 英察強能の君たりと雖も権術を以て苛察をなす
  • 曽国藩 汲々として人材を荐挙するを以て己の任となす
  • 左宗棠 廉にして貧を言わず、勤にして労を言わず
  • 李鴻章 内政外交常に一身を以てその衝に当たる

中国史上で農民から身を興して皇帝の座についたのは二人います。それが漢を建国した劉邦と明を建国した朱元璋です。劉邦は一応、亭長という位の低い役人ではありましたが、朱元璋は流れ者の貧農出身で食べるものを求め托鉢の旅に出ている乞食坊主でした。圧政に耐えかねて起きた反乱の中核にあった宗教結社白蓮教に身を投じ、一兵卒として参加。そこから頭角を現し、元王朝や他の反乱勢力を叩き潰し、明王朝を樹立します。劉基はその朱元璋に仕えた謀臣です。その明もしばらくして女真族の建てた清に依って滅ぼされますが、その清の世にあって名君と言われているのが康煕帝です。こちらも中国史上きっての名君と呼ばれているので唐の太宗と並んで、名君の一人として数えられていますし、特筆すべきはその治世の長さで在位61年は中国史上では最も在位の長い皇帝で、その61年間に政治に緩みを見せなかったのが評価が高い点でもあります。雍正帝はその名君康煕帝の息子で次代の皇帝で、その雍正帝の次が乾隆帝という清時代の最盛期を築いた皇帝です。

以上、書籍の目次をもとに、サクッと各時代の説明も入れてみました。
もし、興味があれば一度読んでみてください。ホントにサクサク読めますんで。

十八史略の人物列伝―英傑・賢人たちに学ぶ

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