今からもう何年前のことだろう・・・。
結婚はしてたけど、子供はいなかったから、28歳とか29歳?
WEBやりだす前だから、28歳かなー・・・ってことは15年前で、2005年とかかな。

当時、まだDTPや印刷の仕事をやってまして、毎日飛び込んでは玉砕してました。
そんな頃に、取引先の営業マンから
「浜松にはまだ仕事が結構あるんですよ」
と教えられ(そそのかされ?)、浜松まで営業行くことにしました。

なんで浜松行くことになったのか

確かGW前だったかな、浜松の地図をMAPサイトで何枚も出力して、セロテープでくっつけて巨大な地図にして地図を作り、準備をしてました。
当時の僕は企画もナシで、ただ飛び込んで名刺とパンフ渡すだけ。
売り口上も「元デザイナーでデザインが出来る営業だからデザイン代もその場で出せる。」みたいなこと言ってたかな。

別にウリでもなんでもない。
あぁ、あと安いですよってぐらいかな。

アポイントをとってた時期もあったんですけど、電話で断られるのが嫌だったのと、いきなり行けば担当者がいたら話が出来るし(電話だと居留守使われるし、担当者に繋がる前に電話切られてしまうから)。
でも、今考えると飛び込んで名刺やパンフを減らす、それに時間を費やすこと、それ自体が「仕事」と勘違いしていたんですよね。

確かに「種マキ」とも言えるけど、種を蒔きっぱなしで刈り取ることをしなかった。
それはやっぱり勘違いしてたからだろうな、と思う。

もちろん、そんな営業で仕事がとれるわけはない。
営業始めて間もない頃に、飛び込んで何件かの仕事を取ってきたもんだから、自分に言い聞かすんですよね「出来る」って。

だから取れない時期が続くと焦りが出てきてしまう。
その焦りが余計におかしな行動を取らせる。悪循環してました。

そんな頃に冒頭の話を聞いたもんだから「やってみよう」って。
準備して、大量のパンフを車に積み込み、意気揚々と浜松へ向かいました。

他の会社の営業の方とかにこの話をすると「営業の鑑」とか「すごい」とか言われるけど、「自分が何をしていいのか解らないから頑張ってるフリしてるだけ」だったんですよね。
自分でも気がついていた。

ガス代の1万だけもらって(勝手に僕が実費で行くって言い張っただけなんで)、浜松へ。

記録しておきたい記憶vol.03_02

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