とはよく聞きますが、生きていればグチのひとつやふたつ、それどころか、クチを開けばグチ、窓を開ければババ(←ネタわかる方みえますか?)という方もみえるでしょう。

グチを言うと、運が逃げて不幸せになるなど、えーといわゆる「自己啓発」系な意見や理由(ただ、運だと自己啓発っていうより、言い伝えとかちょっとファンタジーな気もするが)を多々、目にしたり耳にしたりましますが、そのまま溜め込むのも嫌だし、「そりゃグチも言いたくなるわい」って感じでつい言ってしまうこともあるでしょう。

ここ最近、グチっぽくなってきた僕がフッとグチを言うこと・グチを考えることについて書いてみようか、と。

元々、あまり愚痴を言うタイプじゃない

元々の僕は20代のときにやっていたMLMのおかげで自己啓発系の話やキャッチコピー的なものには耐性があります。(散々聞いたし、聞かされた)

それもあってグチに対しては「愚痴ったところで何も変わらない。愚痴って給料あがるの?何か変わるの?それなら愚痴りゃいいけど、そうでないなら愚痴ったところで意味なくね?」という考え方を持っています。

そんな僕はカッコつけてできるだけ愚痴を言わないようにしてましたけど、どうにも最近は愚痴らなきゃやってらんないような状況で、かなり愚痴っぽくなってしまいました。

ふと気づけば、「愚痴」を言っている・考えている自分がいました。
それも仕事中、朝の出勤途中、帰宅途中、寝る前・・・空き時間という空き時間に頭に巡ってくるのは文句や愚痴。当然、楽しくありません。

クリエイティブじゃなくなってる

ある日、気付きました。
「これってクリエイティブじゃねーな」と。
多少、恥ずかしい表現で書きました、わざと。

以前はというか自分が楽しい時って、空き時間は愚痴じゃなくて、何かネタ的な企画的なことを考えて(まぁ妄想に近いですけど)を考えていました。愚痴を言わない・考えないじゃなくて、自分が楽しくなるようなことを考えてたら愚痴を考えてるヒマがなかった、みたいな。

別に自己啓発的に立派なことを言ってるわけではなく、ただ、単に楽しくない。あんなことしてみたいなー、こんなことやってみようかなとネタを考えてたら、どうでもよくなってしまい、愚痴を考えなくなった。
そう、愚痴を言い出すと、どんどんクリエイティブじゃなくなってくんだなーって思いました。特に僕の場合。

でも、どうしても愚痴りたいときもある

最近は少し余裕が出来たのか、愚痴をガチグチじゃなくて、「笑い」のネタにまで昇華(消化)させるようにしています。じゃないと面白くないもんね。

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