
名古屋でWEBディレクター/WEB担当代行/WEBサイトの運用やリテラシーの講師、営業その他色々フリーランサーしてます。
デザインの学校出てますけど、デザインはできません。素人にしちゃいいの作るな・・・くらいです。調整力や交渉力は高いようです。
普段はクライアント先のWEBサイトの運用担当、アクセス解析、制作ディレクション、WEBマーケティングサポートなどをおこない、たまーに講師やったり、企画書書いたりしています。
以下、経歴
デザイン系の専門学校へ
地元の小中高を普通に卒業したのはいいけど、何も目指すものはなく、卒業間近に「すっごい薄い人生だなぁ」と感じてたのを覚えています。
大学受かってたら世界史の先生か司書(でよかったでしたっけ?)を目指そうと思ってましたが全部落ちましたので(英語マークシート5項目選択で46/200点はないわ)。
かといって「どこでもいいからとりあえず大学」も嫌だったし、目的なく働くのも嫌だったので名古屋デザイン博で衝撃を受けた「デザイン」なるものをやってみようと思い、デザイン系の専門学校へ入学。
高校卒業後は自分の金で生きていけ、ということで学生時代は学資ローン利子返済と学費を稼ぐためのアルバイトに明け暮れました(ちゃんと授業も出てましたけどね。残念ながらデザインの成績はほんと悪い)。
卒業後は就職氷河期+学資ローン返済からフリーターで荒稼ぎ
学校卒業当時の全財産は2,000円。
それほど成績優秀でもなく、また賃金の安いデザイン業界で生きていけるわけもないので(当時は就職氷河期ど真ん中で条件も厳しかった)当時バイトしていた警備会社でフリーターで荒稼ぎ。
おかげで実家出て念願の独り暮らしを始める(月平均手取り30万以上、それこそ休むことなく朝から深夜まで働いた)。
1年フリーターやりながら学生時代の友人に誘われCLUBでVJやらフリーのデザイナーをやったりして小遣い稼ぎ。その後、アルバイト先の警備会社に一旦就職(VJやフリーデザイナーはそのまま継続)。
上司に「勤務地はどこがいい?」と聞かれたので躊躇なく「稼げる場所」と答え、コンビナート地区の共同防災隊に派遣され、そこでロープ結索やホースの結合、近所の事業所の防災訓練指導等の消防系の訓練に明け暮れ、「機関員」と呼ばれる車両担当のほうが金がいいと言われたので大型免許(今は大型に関してはペーパードライバー)を取得。少しの間だけど消防車両も運転。
ローン返済して念願の制作に関わる業界へ
5年計画のローンを2年で完済し、警備会社退職。同時に車も購入。制作業界の面接受けまくるも「経験がない」とのことで全部落ちる。その後、学生時代の友人(VJのとは別)に紹介してもらってアパレル会社のMACオペレーターの契約社員として勤務。
それまでは男ばかりの職場だったり、バイト時代からの特別待遇、若さなどから「尖ったキャラ」のまんまで、折角紹介してもらったにも関わらず、周りとの軋轢を生みまくり、社内での評判は最悪。自分でも何をどうすれば周りと打ち解けるのか、受け入れられるのかわからず、どんどんふさぎこんでいくことに(特に女性スタッフ同士でさっきまで仲良く話しをしていたのに、給湯室でそれぞれが悪口を言いまくっているのを目撃したときは戦慄しました)。
更に自分にプレッシャーをかけて「仕事ができる人間と思わせる」+「デザイナーらしく個性的に」というふたつの想いから何故か「髪の毛を真っ赤にする」という答えが出てしまい(今考えても当時の僕は頭がおかしい)、ある日突然髪の毛を真っ赤に染める。
つまり、「外見がおかしい」から
→ちゃんとやることやってないとクビになる
→外見がおかしくても、言われたこと以上のことをやってやるから文句言われる筋合いない
という何故か「喧嘩腰」なスタイルで生活を送る。
会社で「なんだその頭は?」と聞かれても平然と「デザイナーですから」と答える(←答えになってない)24歳。「触らぬバカにたたりなし」とばかりに全員「腫れ物」に触る感覚で過ごされる。結局何の効果もなく、置かれる状況は悪くなる一方。
給料が警備時代の半分近くだったので貯えが底をつき、給料日翌日にも関わらず残金10,000円という状況になる。追い詰められてどうにもならなくなってきたところで、父親が倒れ、母親からも近くにいてほしいと言われ、実家に戻ることに(兄と弟がいるが、ふたりともすでに所帯持ってたため)。
「ちゃんと働こう」と改心。
髪の毛も黒く染めて、「外見って大事なんだな」と気づく25歳になる春。契約社員の更改をせず、そのまま退職。就職活動をして何とかちっちゃい製版会社のデザイン部のデザイナーに補欠採用される。このときNETAXISのメンバーと知り合う。
そこで、借金返済をしながらDTPのルールやデザインを学ぶ。相変わらず「我」が強いのでたまにトラブルけど、まぁ普通に仕事をこなせるようになる。
会社の売り上げが落ち込み、何故か営業から「デザイン部の売り上げがない」と言われる(それは営業部の責任では?)。ムカついたので翌日からスーツで出社して「デザイナー兼営業」として走り回る。飛び込み営業で何件か仕事受注。
会社の売り上げがそれでも上がらず、遠方に移転することになる。とても通える距離でなくなったのと会社より交通費を出さないという条件を伝えられたので退職決意。借金を完済したのとキリがよかったので結婚(ただし全財産30,000円)。
NETAXiS(フリーランス)として活動開始
NETAXISとして活動開始。
その後はNETAXISの営業兼デザイナーとしてとにかく飛び込みまくる。何件かは受注したものの500件以上飛び込んでも状況が変わらないので飛び込みの効率の悪さを思い知る。
金額とスピードだけを売り文句に営業やってたけど、それでは相手にされないし、価格競争は望むところではなかったので「企画」をたてるようになって・・・
↓
企画をたてるようになると印刷物のみでは厳しくなってきてWEBの勉強を開始。
↓
WEB企画の提案だけでなく、WEBで仕事をとるにはマーケティングも必要と感じるようになり興味も持つようになり
↓
ある程度長い期間かかる仕事を受注するようになってみて「プロジェクト管理の重要さ」に気づきPMの勉強を始めて
↓
動画の提案をするために動画作成の勉強がてら作品作るようになって、BGMも欲しいのでDTMも勉強しだして
↓
色んなことにチャレンジしてみるも、結果につながらず、生活が困窮
↓
同時に、「WEBサイトを作って終わり」で、その後の運用保守を依頼されることがなく、放置されているWEBサイトを幾度となく見てきて、「ここで動けばもっと良くなるのに!!」とストレスがたまってくる。
↓
NETAXISを脱退。
クライアント先にPRして就職
放置されているWEBサイトをどんどん更新して色々やりたいんだけど所詮外注ではやりたいことができず、かといって無料でやるわけにもいかず、内部の細かい状況もわからず悶々としていました。
そして積もり積もってた想いが爆発し、クライアントに企画書と一緒に自分を売り込んで就職。
WEB制作会社に転職
数年経過して色々と物足りない環境や自分の知識欲、もっと自分の能力的な面を伸ばしたい、活かしたいと思い、転職。WEBディレクターとしてクライアントのWEBサイト運用を手伝いつつ制作ディレクションやアクセス解析のレポート作成、更に講師業も担当。
Digital Intelligence Organismとして独立
ブラック過ぎる会社であったこと、組織内での自分の動ける範囲や権限と、自分がやりたいこと、自分が能力を発揮できる部分で窮屈さを感じ、退職し独立。
現在は「Digital Intelligence Organism」という名称でフリーランスとして活動中。
Digital Intelligence Organismの由来
たまに質問を受けます。そんな深い意味はないです。略称で「DIO」にしたかっただけです。
専門学校を卒業の際に、上記にあるような理由でフリーターやりながら個人でデザインの仕事をやっていました(少しですが)。
その時に「社名」というか「ブランド名」をつけた方がかっこええやん、と当時の仲間内で盛り上がりまして、僕は「センス」ないものですから、いい屋号が浮かばなかったんですね。
そこで連想でなんとなく、自分のブランドになるんだから・・・
「ブランド」→「ブランドー(by JOJO)」→「ディオ・ブランドー(by JOJO)」と浮かんできまして、「DIO」と命名したいな、と。
ただ、それでは安直すぎるし、「意味」を持たない「名前」は嫌だな、と感じましたので「DIO」のそれぞれのアルファベットを頭文字に始まる英単語をつないで「D.I.O」にしようと。
英和辞典開いてもう探した探した。
まず「D」。デジタルかデザインか悩んだけど、デザインだけでもないし、当時はまだ珍しいPCを使ったデジタルな感じだったので「デジタル=Digital」に決定。
次に「I」。何がいいかな・・・と色々探してかっこいい単語、でも派手な意味を持たない物、ああでもない、こうでもないで探して「Intelligence=知的・知識・知性」に決定。おぉ〜っなんかCOOLだ、と。
あとは「O」。何がいいかな〜と考えてて「オルガズム」にしようと思ったけど、さずがにマズイな、と気づき却下。よく似た言葉に「オ−ガニズム」という単語があるのを発見。しかも「WHO」とかの「〜機構」みたいな感じで使われてる「オーガニゼイション」の関連語。
「あ、これはキマリやろ」と「有機体・生物=Organism。人間は有機体やし、生物」という具合に無理矢理「メッチャ考えました」と言わんばかりに理由付けをして「D.I.O」になりました。
「D.I.O=Digital Intelligence Organism=デジタル知的生物=俺」みたいなことを何の恥ずかしげもなく周囲に吹聴してた、そんな20歳の頃のお話です(若かった・・・)。
今思うと恥ずかしく、しまったな、と思うこともありますが(電話で自分の屋号言うの恥ずかしい)、各所に届け出もしているし、もう30年もこの屋号使っているので今更変えるのもな・・・と。
「Digital Intelligence Organism」ビジネスとしてのトップページはこちら
たばこは禁煙成功して酒は元々全く飲めず。
でも、お酒を飲む場所に行くのは嫌いではないので、居酒屋やショットバーなんか行くのは抵抗ないです。
音楽はロック系が多いですが、色々と聞きます。元々「歴史」が好きでして、中国史が好きです。特に宮城谷昌光氏の書かれる小説はほとんど読んでますし、影響も受けています。他にも人物伝系は好きです。
他、野波浩、アルフォンス=ミュシャ、鄭問なども好きで写真集や画集持ってます。