この夏、衝撃を覚える出来事があり、哀悼の意を込めて、彼のことを記載したいと思います。
彼は僕に取ってはスターであり、当時の僕の数少ない親友でした。

2025年8月2日のことだった。
昼食を終え、午後の仕事に取り掛かる前に各SNSの確認などをしていた。日課というか、毎日の「なんとなくルーティーン」になっている作業である。
Facebookでシステム側から提案される「知り合いかも」を見ていた。最近、全く関係ない人や明らかに怪しいアカウントがある場合は削除している。
その日もそんな感じで眺めていた。

ザーッと見ていたら、見覚えのある名前というには記憶が鮮明すぎる旧友の名前が出てきた。Facebookを始めて17年、その友人のアカウントが表示されたのは始めてだった。
「あれ?これってSちゃん(なお、男性です)だよな・・・」
もうかれこれ、彼と出会ったのは29年前で、最後に会ったのは25年前。
S君は25年前に僕が在籍していた警備会社の社員さんで、僕はバイト→中途入社で入った社員、彼は年齢は1個下だが新卒で入社した社員さんだった。

「これ多分、Sちゃんだよなぁ。久しぶりじゃーん。アイコンの画像を見ると、ちょっとふっくらした? ちょっと見てみよっと!」とアカウントにアクセスした。
プロフィール画像やカバー画像を見て、「おおー、少しふっくらしたけど、多分、Sちゃんやなぁ。娘さんが4人いるんだ!そっかそっかー」なんて移動しながら最新の投稿を見る。
最新の投稿は今年の5月の投稿。そこには妹さんからの投稿で「2025年4月1日に兄が亡くなった」という投稿があった・・・。

自分の目を疑った。次に、「同姓同名の別人のアカウント」だと思った。信じられなかったし、信じたくなかった。
妹さんの投稿に「今から~年前に◯◯に在籍されていた、S君でしょうか。S君と同時期に在籍していた平田です。」と自身の紹介を書きつつ、お悔やみの言葉を書いた。
違っていてほしい。俺の早合点だったり、勘違いであってほしい、と思いつつ。

次にFacebookでつながっているバイト時代の先輩をタグ付けして、「これって本人だと思いますか?」と投稿した。その先輩も彼のことは知っている。
先輩から返事が来るまでの間にアカウントの投稿を隅々と見返して、友達や過去の投稿に警備時代の上司のアカウントを見つけた・・・。これはもう本人確定である・・・。
警備会社時代に仲良くさせてもらっていた関係ではあるが、25年間連絡を取っていない旧友の死。思いの外、衝撃が強く、ショックを受けた。仕事が手につかなかった。

彼のアカウントや彼が書いたブログを読み、お互いの空白の時間を埋めるように、彼の軌跡を調べていた。他にも彼の名前で何か検索がかからないか、検索しまくった。
自分で事業を立ち上げていたようだった。おそらく葬儀屋さんのようだが、既にWEBサイトがなかった。が、一縷の望みをかけてWayback Machineで過去のWEBページを引っ張ってみた。運良く閲覧出来た。最新のものかわからないが、代表者名に彼の名前があり、事務所の住所などが記載されていた。

彼の事務所は僕が住んでいる隣の市だった。近所だった。車で15分~20分くらいの距離である。そんな近くにいたのに全く気づかなかった。それもまたショックだった。
もっと早くに、なんで亡くなる前に連絡を取り合おうとしなかったのか。「もう、いないのかよ。」のときもそうだったが、いつかはどこかで再会して、昔話に花を咲かせると思っていた。また、僕も法人化はしていないが、フリーランスとして自分でビジネスを展開している。隣の市なら、何か一緒にビジネスをやったり、仕事を紹介も出来たかもしれない。そう思うと、悔やまれて仕方がなかった。

そうこうしていたら先輩からも返事があり、妹さんからもお返事をいただいた。本人だった。一気に25年前のいろんなことが頭に蘇ってきた。
お父さんのこと、妹さんをとにかく可愛いがってたこと、めちゃくちゃ大きなクルマに乗っていたこと、そのクルマに乗って新婚の先輩の家に遊びに行ったこと、デート先がたまたま一緒でトイレで出会ったこと、同じスポーツをしていて、彼の母校の試合を一緒に見に行ったことなどなど・・・。

それらの話をそれぞれご紹介するとともに、彼のひととなりを知ってもらえたらと思います。
また、時間が経過しているため記憶が曖昧な部分もありますが、ご容赦いただけたらと思います。

彼のひととなりや知り合った経緯のご紹介

年齢は僕の1つ下の男性で、僕らが知り合ったのは1996年の夏だったか秋くらいでしょうか。彼が19歳、僕が20歳のときです。
彼は僕がバイトしていた警備会社に高卒の新卒の社員として入社されてきました。最初は現場に配属されていたようですが、すぐ本社勤務になり、我々アルバイトの管理やシフト管理をしたり、「臨時(=常駐固定ではない臨時の警備現場のことを言います。イベント会場などが多いです)」の現場にアルバイトといっしょに勤務したりするようになって、僕らアルバイトと仲良くなりました。本社の部隊は少し年齢層が上だった(管理や統括するような方々だから若くても30代の大人のひとばかりだった)こともあり、同世代のSちゃんたちとは一気に親近感が湧き、彼らと仕事するのがすごく楽しかったことを覚えています。

Sちゃんは、目がぱっちりしており、男から見ても「かわいい」顔立ちのイケメンで(当時、鈴木蘭々さんに似ているので、「ランラン」とも呼ばれていた)、人懐っこく、ノリもよく会話も楽しい人で、その笑顔は「太陽のような笑顔」と呼べるような方でした。また仕事は非常に真面目で(社員さんですから我々アルバイトと比べてはいけないのですが)、責任感の強い、仕事の覚えも早い、応用も効く、よく動きよく働く、非常に優秀な人でした。また人柄もよく、それだけ優秀で幹部候補生とも言える立場なのに、一切偉ぶることはなく、我々アルバイトの学生にも年上であれば「◯◯さん」と呼んでいたり、仲良くなれば親しみを込めて「◯◯君」と呼んだりしてくれていて(体育会系の「呼び捨て当たり前」の会社でしたからね)、当然、他のアルバイトからも人気がありました。そりゃ女の子にもモテてましたよ。イケメン、面白い、仕事出来る、会話楽しい、頼れる、そんな超優良物件がモテないはずがない。

僕は「この人は年齢の割にすごく苦労しているんだろうな」と感じました。19歳だからふざけているときにノリは我々と近いのですが、どこか大人びている。他の同世代と比べても少し違う。それが社員という立場から来る責任感ゆえなのか、アルバイトとは一線を引いた接し方をしてくる。上手く言えないのですが、「懸命に大人になろうとしている」「自分を厳しく律しようとしている」そんな印象を受けました。

 

彼が仲間からスターになったきっかけ

時系列はバラバラですが、打ち解けるのはかなり早かった覚えがあります。その理由のひとつが「ハンドボール」です。
僕は中学高校とハンドボールをやっていたのですが、記録しておきたい記憶vol.05_01にある通り、「ド下手くそ」ですし、高校ではキャプテンでしたが、同学年の男子ハンドボール部員は僕ひとり(だから高校のアルバムは見たくない黒歴史に近い)しかいない、一回戦負け常連高校の出身です。そんな僕に対してSちゃんは愛知県のハンドボール強豪校の、しかも「レギュラー」でした(妹さんに後日聞いたところ、大学からスカウトの話もあったくらいに上手かったようです)。

どのタイミングでそんな話をしたかは覚えてませんが、同じ「ハンドボーラー」として、ハンドボール経験者でなけれは分からない話でお互いに盛り上がり、仕事場で冗談を言い合ったりしていました。お互いが休みのときでしょうか、Sちゃんに「連れていきたい場所があるから、時間空けておいてよ」と言われ、お互いが休みの日に金山駅で待ち合わせしました。Sちゃんが黒のインテグラで登場しました。
「うっそ、19歳でもうクルマ持ってるの?俺なんてまだ親のクルマを貸してもらってるだけなのに?めっちゃかっこいいんですけど、このクルマ」
なんて思ったのを覚えています。

Sちゃん、連れて行く場所を教えてくれないんですよね。いつも。楽しみにしててよ的なことが多かったです。喜ばせたいし、驚かせたいんでしょうね。そんなとこからも彼の人柄が伝わってきます。
着いたのは名古屋市内の大きな体育館。場所はもう忘れてしまいましたけど。そこで彼の母校の後輩がハンドボールの試合をしている、ということで、連れてきてくれたんです。
「平田くん、ウチの試合見たいって言ってたじゃんね。だから今日、一緒に見ようと思って」と。
それ言われて僕は「(トゥンクッ)何、この人、ヤダ、イケメン・・・///」ですよ。

当時はYouTubeも無ければSNSもない、やっとガラケーで文字のメールが送れるようになったような時代です。動画なんてないから実際に見るしかない。
Sちゃんは後輩に挨拶して、たまたま来ていた同級生なんかとも挨拶を交わしつつ、昔の仲間がいるなら、昔の仲間と盛り上がってもいいのに、僕を一人にすることをせず、一緒に試合を観覧していました(そんな気遣いも出来るんかい・・・イケメンすぎる///)。

Sちゃんの後輩がスカイプレーをしました。テレビで実業団やオリンピックの選手がやるシーンは見たことはありますが、生でしかも高校生がそれをやるなんてびっくりです。
僕は驚いて「うおおお、今のスカイプレーじゃん!!!すっげー!Sちゃんの後輩すげーじゃん!」なんて大声を出したら、Sちゃんは「え、あれくらいは俺も出来るよw」と。そこはさり気なく自己主張してきましたw
ハンドボールは好きだったし、自信もあったんでしょうね。だからそこは自分も言いたかったんでしょう。スカイプレーも出来ちゃうの?Sちゃんすげーな!!ということで、他のアルバイトから見たら、社員のSちゃんかもしれないですけど、僕からみたSちゃんはハンドボールのスター選手かつ社員のSちゃんって感じで、「憧れの存在」になりました。

その日の帰り道だったか、別の日だったか忘れてしまいましたが、「大学でハンドボールをやりたかったなぁ・・・」と彼の口から珍しく愚痴っぽい一言が。Sちゃん、愚痴とかあまり言わないんですよね(むしろ誰かの愚痴を聞いたりして笑っていたりなだめたりするタイプ)。家庭のご事情か何かで就職したらしく、本人としては就職を選んだ道は後悔していないけれども、「ハンドボールは続けたかった」という思いは強かったようで、僕も大学に受かっていたらハンドボールはやっていくつもりだったので、お互いに「一緒にハンドやれたらやりたいよねー。草野球じゃないけど、草ハンドボールチームみたいなの作れたらいいねー」なんて話していたこともあります。

 

どうやって乗るの?

そのちょっとあとですかね(時系列が本当に曖昧)。Sちゃんが本社勤務になる前は名古屋のコンビナート地帯にある消防部隊(そういった施設は消防設備を持ってないといけないのですが、かなり高額になるため、各石油会社が共同でお金を出し合ってひとつの立派な消防設備と部隊を持つ、ということになっていて、そこに警備員が派遣されていて、警備員だけど消防のようなことをやっていました)に配属されていて、僕が社員になったあと、これも偶然なのか、僕が同じ配属先に配属されました。そのため、Sちゃんとは共通の話題が増えて、配属先の先輩たちもかつての部下や後輩のSちゃんの本部での活躍を喜んだりしてくれていました。

Sちゃんが配属された際に直接仕事を教えたIさんという人のいいおじさんがいまして、そのIさんが僕の教育係でもありました。IさんはSちゃんがいたときは独身だったのですが、僕が配属された際には新婚でして、お子さんも生まれた、というタイミングでした。そんな話をSちゃんにしつつ、僕から「Iさんの家に乗り込まない?」と打診したところ、Sちゃんも「それいいねーw」ということに。ちなみにIさんは面白い方でして、僕もSちゃんも一緒によくからかって、Iさんがツッコミを入れる、そんな間柄でした。

iさんから遊びに行くことを快く承諾いただき、家の住所なども聞いて、遊びに行く当日、どこだったか忘れましたが、おそらくはどこかの駅で待ち合わせしました。ちなみに、前日だったか、「クルマを買い替えようと思ってるから、中古車センターに見に行く」的な話を聞いていました。メールで「どんなクルマにしたん?」と聞いても「楽しみにしててよ。絶対に驚くからwww」なんていう返事が来て、「驚くって言っても、シャコタンとかは乗らないし、変な竹槍出っ歯なカスタムカーも趣味違うだろうし、クルマで驚くって、高級外車とか・・・?」と色々と考えていたところ、時間になって現れたのは・・・

ハイリフト仕様のランドクルーザー(記憶の中だと、もっと高かった記憶がありますが、まぁ、こんな感じのクルマです)。Sちゃんが窓から「おーい」と。
僕は口あんぐり・・・。予想のはるか斜め上のそのまた更に先をいってました。

Sちゃんに「おい、これ、どうやって乗るんだよwww」と聞いたら、いや、タイヤに足掛けて乗ってくれりゃいいよ、と。まじか、とw
乗ったところ、もう視界がまったく違う。他のクルマの屋根が見える状態。視界がひらけるひらける。

「Sちゃん、すげーな。よくこんなの見つけたねー!」と驚きまくっていたところ、「前に展示会(だったかなぁ)で見かけて、気になっててさ。昨日、初めて見に行ってさ。その場で買っちゃった。なんと500万w」
「500万!?はい?まじで?すげーな。Sちゃん、500万の買い物をその場でいっぱつで決めたん?」「いやー、これは欲しかったもん。惚れたからねー。譲れなかった!!」と。
意外でしたね。僕のなかではSちゃんは「大人でいよう」という感じの人だったので、こういった思い切りの良さや、街なかでこんなに目立つクルマを買ったりなど、突飛な行動はしない人だと思っていたのですが、これに関しては意外な一面を見た気がしました。

そして助手席に乗って、Iさんに連絡し、今度は僕がIさんに「Sちゃんのすっげークルマで行きますよwww Iさん、マンションのベランダに出ていてくださいよ。近くまで行ったらまた連絡しますんでw」と伝え、Iさんの家に向かいました。忘れられないのが道中にすれ違う市バスに乗車したお客さんたち。シートの高さがほぼ市バスなんですよ。市バスのお客さんと我々は目が合うんです。市バスのお客さんも目を丸くして口あんぐりあけて、こっちを指さしてます。
僕やSちゃんはそんなお客さんに手を振りながら一緒にゲラゲラ笑いながらIさんの家に向かいました。

Iさんのマンションの近くについて、確か2階だったかな。電話をしてベランダに出てもらいました。そして、マンションの周りをそのクルマで走ってIさんにも見てもらいました。
驚いてましたねーwww うわーなにそれ、クルマなの?動くの?的な感じでwいや、動いてるから来てるんだけどね、と思いつつw
Sちゃんと一緒にIさんの反応に笑いつつ、クルマを置いて、Iさんの家で結婚のお祝いとご出産のお祝いです。SちゃんからしたらIさんは社会に出て最初に仕事を教えてくれた先輩であり、本部移動の際も大してお礼も言えず、本部移動後は忙しくて久闊を叙することも出来なかったみたいなので、Iさんのご結婚やご出産が大変うれしかったようで、ものすごくはしゃいでました。
結婚式の写真を見せてもらってはIさんへ「似合わねーwww」と笑ったり、今となっては懐かしい、昔の結婚式にあるゴンドラ?の写真や御夫婦のちょっと照れるようなポーズのポスターなんかも見ながら終始笑って、楽しくお祝いして、奥様の手料理に舌鼓を打ちながら、まだ0歳の息子君をあやしたりして楽しい時間を過ごしました。

 

結果的にダブルデート?

これも何かしらSちゃんとの縁を感じるエピソードです。
当時、僕らはナゴヤドームの球場警備の仕事が多く、6連戦の場合は火曜~日曜まで入りっぱなしで、月曜にオフになることが多いシフトでした。
僕はバイトのくせして(フリーターで荒稼ぎしていた時期ですね)会社の仮眠室を借りて、泊まり込みで深夜まで社員さんと一緒に働いていました。

その時は僕は社員の女性とお付き合い(Sちゃんの後輩にあたり、これまたハンドボール経験者)しており、その日はデートの約束になっていました。また、Sちゃんはアルバイトの女性とお付き合いをしており、お互いの彼女同士も仲がいいという関係でした。6連戦の翌日の月曜がお互いにデートの日というのは知っていたのですが、場所まではお互いに聞いておらず、月曜の朝に「一旦帰ってからデート行ってくるわ~じゃーねー」と僕は会社を出ました。

一旦、自宅に帰り、親のクルマを借りて彼女を迎えに行きました。彼女の自宅は当時、天白区にありまして、知多から天白に向かい、そのあと、確か鳴海かどこかのギガスーパー(ヨーカドーではないけど、イオンでもないし、忘れました)系のお店に入ることになりました。なんでその店に入ったか覚えてないんですけど、フードコートに向かったのは覚えているので、お昼食べがてら何か服でも見ようとしていたのかな。フードコート着いて、僕は「トイレ行ってくるー」と彼女をフードコートに残し、トイレに行きました。

トイレで用を足していたところ、隣に人の気配がして、隣で誰かが用を足しているのがわかりました。
フッと何気なく、その横の方を見たら、Sちゃんでしたw 何もこんなところで、お互いに用を足しながら会わんでもwww
お互いに用を足しながら顔だけ向けて「おおおおお~~~~~っ」と驚きつつ、爆笑してしまいました。二言目はもうほぼ同じで「なんで、こんなとこにいるんだよ!」です。
お互いに笑いながらトイレを出て、フードコートに戻ると、Sちゃんの彼女と僕の彼女が談笑している。笑ってしまいました。
(先日、妹さんにお会いした際にこのエピソードをお伝えしたんですけど、記憶違いをしていて、フードコートで彼女に会ったとお伝えしたんですけど、後々、記憶を辿ったら、トイレでSちゃんとばったりが正しい記憶です)

 

冬の名古屋港で花火観覧

上述にあるように僕がいた場所は名古屋のコンビナート地帯でした。名古屋港で花火大会があるときは関係者以外は許可証がないと通れないように封鎖していました。当然、Sちゃんも元同じ部隊出身ですから、そのことは知っているし、逆に言えば、「人混みのない、めっちゃ夜景のキレイな、静かでめっちゃムードのある場所」でもあるわけです。いつだったかな、夏の花火じゃなくて、確か、名古屋港ってクリスマスの時期にも花火打ち上げるんですよね。
その年の日程を調べたSちゃんは「冬の名古屋港の花火だけど、◯◯(彼女の名前)と見に行くんで、許可証をお願いするかも、よろしく~~」なんて、彼女と別れて淋しい、しかも当日は勤務日の僕のところへ連絡いれてきました。
「フ ザ ケ ン ナ ヨ コ ノ ヤ ロ ウ」です。
といいつつ、当日には「気を付けておいでよー」なんてメールをしながら、巡回中に会ったら絶対に懐中電灯とかで照らして雰囲気壊してやるなんて思っていたんですが、途中出会うことはなく(=僕に邪魔されることなく)、彼女と花火を楽しんだもようw
君がイチャ✕2していたとき、俺は40近いおじさん社員といっしょに巡回車の中で花火を見ていたよ。くっそーwww
(結局、許可証が必要ではない場所+花火がよく見える場所があったらしく、そこで見ていたみたいです。くっそ羨ましい。青春しおってからに。)

 

最後に

Sちゃんはどう思っていたかはわからないけれど、僕からしたら貴方は「親友」でした。
元々、人間関係の構築が下手な僕にとって、貴方は貴重な存在でした。
偉そうで、強面で、乱暴かつ狭量で嫌われていた僕にも貴方は接し方を変えず、疑り深い僕が貴方のことはすべて信用出来たし、腹を割って話し合えたし、一緒によく笑いあった。
貴方は唯一無二の存在だった。だけど、退職後にほぼ連絡を取らなくなってしまったね。それは僕の怠慢でした。連絡を取り合っていたらと思うと、悔しくて仕方ないよ。

貴方は優しかった。ただ単に流されているわけではなく、ちゃんと分別がついて引き締めるところは引き締める、譲れるところは譲る。それは当たり前のことかもしれないが、19歳や20歳でそれが出来ていた。
そのうえで優しかった。だけど、今にして思うと、それがSちゃんの負担になっていたんだと思う。プライベートでクルマに乗っているときに、ホントたまにだけど、フッと見せる弱音や悩みがあったよね。
男同士で照れもあって、本当の泣き言や真剣に悩んでる顔は見せたくなかっただろうから、出来るだけ明るく軽い感じで話してくれていたんだろうけど。もっと言ってくれたらよかったし、頼ってくれてもよかった(頼りないと思われていたなら、申し訳ないけど。トラブルメーカーだったしな)

上にも書いたけど、「大人でいよう」「しっかりしなきゃいけない」という印象を受けていたよ。おそらく、周りの期待に応えることが当たり前だったんだろうし、そうすることで自身を高めてきたんだろう。
だからかっこよかった。みんなが貴方の周りに集まった。でもそれがプレッシャーでもあったんだろうな。もっとカッコ悪い、弱い自身、悪いSちゃんを見せても、大丈夫だったよ。そんなことくらいで、Sちゃんの周りの人は離れないよ。
みんな、貴方の優しさや笑顔、キャラが大好きだっただろうからね。逆に「憎まれっ子、世に憚る」ってホントそうなのなって思ったよ。嫌われ者だった俺が残っちゃった。

妹さんから独立した経緯とかも聞いたよ。向上心や独立心あるのは知ってたから、頑張ったなぁって思ったよ。俺も独立したよ。運良くだけどさ。
だから余計に悔しいよ。隣の市でお互いにビジネスやっていて、もっと早くに再会出来ていたら、25年間の空白を肴に飲んでただろうね。お互いに濃い25年間だろうから、一晩や二晩では語り尽くせないだろうなw
俺、クルマにハンドボールの練習球を積んであるんだ。もっと早くに再会出来ていたらキャッチボールやれたね(さすがにランパスとかは太りすぎて無理w)。
夜中におっさん2人がどこかの公園でハンドボールでキャッチボールやってたら、それこそ通報事案かもしれんが、Sちゃんとキャッチボールしながら語りたかったね。それも出来ないかぁ・・・そっかぁ。

カラオケも何度か行ったね。Sちゃんは「THE BLUE HEARTS」が大好きだったみたいだね。でも、僕とカラオケ行くと、僕がBOOWYを歌うので、合わせてよくBOOWY歌ってたね。一緒に「THE BLUE HEARTS」も歌ったことあるとは思うけど。多分、「リンダリンダ」とか「TRAIN-TRAIN」とか、「情熱の薔薇」あたりは、みんなで大合唱状態だよなw
「THE BLUE HEARTS」の曲だとなにがいいかな。そんなSちゃんとの関係や想いは変わらないし、終わりたくないって意味で「終わらない歌」でおくらせてもらうよ。


まだ暫くはそっちに行く気はないので、また俺がそっちに行ったらハンドボールをやろうよ(ボールを棺桶に入れてもらうように遺言しとかなあかんな)。
ただ、Sちゃん天国チームで、俺は地獄チームで同じチームにはなれんかもしれんけどwww そうなったら、負けません。勝ちますw
バンバンにロングシュート打ってやるw
というわけで、もうあと何十年かかるかわからんけど、待っててね。またね、Sちゃん。
友達になってくれてありがとうね!

2025/09/03 追記
地元の花火大会(8/30)に行ったんですけど、「ミュージック花火」というコーナーというか、カテゴリというか、音楽に合わせて花火を打ち上げる催し物があるんですが。
毎年3曲くらいあるのですが、大体は近年で流行った曲などで打ち上げるのですが、今年はなんとBLUE HEARTSの「リンダリンダ」でした。偶然にしても出来過ぎだよな、と思いつつ。だってリンダリンダって1987年のリリースで、もう40年近く前の曲だよ。

そんな演出あるかよ、って。
思わず口ずさみながら泣いてしまったよ。
夏の夜空に響くブルハと大輪の華で、誰よりも優しく、何よりもあたたかった貴方を送り出したいと思います。

2 thoughts on “お互いの25年間を肴に飲みたかったね。”
  1. 勝ちゃんの伯母です。
    知らない勝ちゃんの思い出有り難う〜母親同様未だ気持ちの整理が付かず思い出しては涙してます〜機会が有れば是非思い出話聞かせて下さいねぇ〜

    1. 亀川佐枝子様
      コメントいただいておりましたのに気づくのが遅くなってしまい申し訳ありません。また、私の拙文を読んでコメントいただきありがとうございます。
      ご遺族の方からすると、そうですよね。「そこにいるのが当たり前」が家族や親族の方々の感覚でしょうから。中々、気持ちの整理つかないですよね。まして、勝ちゃんのキャラからすると、そんなキャラではなかったでしょうし。
      僕も妹さんのご自宅にお伺いした際に遺影を見て、受け入れているんですけど、写真を見た瞬間に現実味が増してショックが大きく、思っていたような作法が取れず、線香のあげかたとか、お参りの方法もなんかちぐはぐで・・・。
      それこそ、葬儀会社の社長である勝ちゃんに「お前、なんだよ、それw」と笑われてしまうくらいに挙動不振でした。平静を装ってはいましたが。。。
      またお会い出来る機会あれば、お話させていただければと思います(ただ、エピソードはほぼ全部出し尽くしてしまってはいますが・・・)。

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