これも昔書いた記事。
多分、この頃はディレクターというよりは本当に営業で、WEBのこともよくわかったなかった(今でもわかってないけど)頃で、プロジェクトやPMの考え方も知らなかった頃だから先日記載した記事より前に書いたかなり古い記事。
今も同じようにこういったことで悩んでる人多いんじゃなかいかな(って書くと僕がもう悩んでないように見えるけど、このときに比べればまだ上手いやり方は見つけた)。

別に政治の批判じゃないんだけど、ふと思うことがあったので。
中国春秋時代の政治家、子産が後継者の子大叔に「寛容な態度で政治に臨むのと、厳しい態度で政治に臨むのでは、厳しい態度で臨んだほうがいい。例えば火は恐ろしく、その恐ろしさゆえに人が近づいてこないので、かえって人の死は少ない。しかし水は柔らかなので人は慣れ親しんで近寄り、洪水により大勢の人が死ぬ。故に厳しい態度で臨んだほうがいい。」

その後、子大叔は子産の遺言に逆らい、寛容な態度で臨んだが領内に盗賊がはびこり、結局これを軍を率いて討伐した。 子大叔は「子産の指示に従っていればこうはならなかったのに・・・」と言ったとか言わないのか。

徳がある人は寛容な態度で臨んで大丈夫だが、そうでなければ厳しい態度で臨んだほうがいい、ま、そんなお話なんですが。

徳は徳なんですが、言いかえればすぐれた人格とも言い換えれるかな。 基本、営業も兼ねてよく打ち合わせ(交渉)をしてるわけですが、やっぱり、人当たり良くしてかなきゃいけないんで、そうしてるんですけど、何だろう?つけこまれてるみたいな。あれもこれも、みたいな感じで言われて、それをやるなら金額かかりますよ、というと「それぐらいはサービスでやってよ」とか「こっちは希望を言ってるだけだ」と言われ、出来ないと断ると「何で?」と怒られる。

かといって、事務所に戻って「これを追加で」とか「こーいった感じで」というとこれもまた「何で?」と言われる。この金額でここまでやるのおかしくないか?とかいつまでこれやるの?と突っ込まれる始末。

う~んどっちとも言ってることわかるんですよ。
世論。えー世論ですとも。
クライアントは細かい技術のことはわからないんで、簡単に言ってしまう。で、こっちはそれをやるならお金かかってしまうし、エンドユーザーのことを考えるんであればそれはオススメ出来ない、と説明はするけど「金を払うのはウチだ」だのやんや責められ、事務所戻って「こーいうことらしい」と伝えると「それは金かかる」とか「これが決まらないと先に進めない」「それはユーザー視点からするとおかしいよ」うんうん。わかるわかる。確かにその通りです。

で、どうするのよ?って話なんですよ。
見積もり提示しても、「それは無理」と言われ、事務所で言うと「そんな金額じゃやらない」。ここまで来て断るのもいかないし、それやってると客をどんどん失くすことになる。以前、それで大モメしたし。

段々、グチになってるからこの辺で終了。
グチは言いたくないんですよ。好きで始めたことだし、グチっても何も変わらないなんて自分が一番よく分かってる。

クライアントも事務所も「思ってること」「正論」を言ってるだけなので何も悪くない。要は僕が「双方の意見をどう収束させるか」です。

愚痴でなく起きたことにどう「対策」をとるか(本当は予測して未然に防ぐのがいいんですけど)が大事なんですよね。毅然とした態度が必要ですか。事を荒立てたくはないんだけどなぜかトラブルメーカー(笑)

・・・っつーか暗いな。いかんいかん。俺らしくない。それにこれじゃ「営業VS現場」じゃねーか。はぁ、切り替え切り替え。
あ、望んでる状態に自分の能力(徳含め)が足りてなさすぎるのか。

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